9条の会とは何か

   

  先の見通しを持つということは、すでにあった事実の中から、
 ある一つの方向をもった流れを見つけ出すということである。
                  
               加藤周一

     きょうの潮流

 
             2019・9・30    しんぶん・赤旗

   今月19日は「九条の会」の呼びかけ人の一人、評論家・加藤周一の生誕100年に当たりました。東京と京都で記念の国際
  シンポジウムが開かれ、カナダ、フランス、ドイツ、中国、韓国の研究者も交えて、活発な議論が行われました▼シンポでは「加
  藤周一はマルクス主義者ではなかったが、マルクスをよく読んでいた」という指摘がありました。思い出したのは、ソ連が崩壊し
  た時の加藤周一のコラム「夕陽妄語」の一節です▼「社会主義が死んだという大合唱は、議論としてまことに粗雑である」と戒め、
  マルクスの社会分析が現代にも通用することを示しました。「マルクス主義は死んだのではなく、常識になったのである」。社会
  主義崩壊論の嵐のなか、この言葉にどれほど励まされたか知れません▼「私の民主主義の定義は、甚(はなは)だ簡単である。
  強きを挫(くじ)き、弱きを援(たす)く」と書いたこともあります。富裕な医者の家に生まれながら、弱い立場の人々への思いやり
  を忘れませんでした▼晩年の加藤は「九条の会」を結成し、憲法擁護を訴えて全国をまわりました。加藤は書いています。「戦争
  に反対するのは、科学者としての認識の問題ではなく、人間としての価値の問題である」▼ベルリン自由大学のイルメラ・日地谷
  =キルシュネライトさんはシンポでこう語りました。「世界の大きな変動の中で、加藤が強調した理想やデモクラシーのような価値
  なしに我々はやっていけない。加藤は真に国際的なアピール力を持った自立した思想家だった」


 

     全国首長九条の会 早く

     交流会 結成へアピール

 
            2019・5・19  しんぶん・赤旗

   憲法9条を守り生かそうと地方自治体の首長らが18日、都内で交流会を開きました。安倍晋三首相が参院選に向け9条改憲
  の動きを強めるもと、首長が全国で力を合わせ9条を守る必要性について熱い議論を交わしました。交流会では「全国首長九条
  の会・結成準備会」をつくることを満場一致で確認し、「全国首長九条の会」の早期結成を呼びかけるアピールを採択。元職の22
  人の首長が参加し、玉城デニー沖縄県知事らが賛同メッセージを寄せました。

   交流会を呼びかけた宮城県白石市の川井貞一元市長(東北6県市町村長九条の会連合会長)は「私たちは命を賭けて市民の
  安全と安心を守ってきた。絶対に9条を守り、安倍晋三首相の暴走を止めるために首長の9条の会を全国に広げる」と強調。
  宮城県旧鹿島台町の鹿野文永元町長(同東北連合幹事長)は、安倍首相が改憲理由に自治体の自衛官募集業務への「非協力」
  を主張したことについて、「昔の徴兵制のようだ。地方の隷従であり地方自治への挑戦だ」と力を込めました。

   交流では「イージス・アショアの設置は絶対に許せない」(秋田県横手市の千田謙蔵元市長)「東海第2原発を止める。それが9条
  を守ることになる」(茨城県旧瓜連町の先崎千尋元町長)「参院選で市民と野党の共闘の勝利に向け大きな力になる」(兵庫県旧南
  光町の山田兼三元町長)「理不尽を感じている女性が声を上げるよう呼びかける」(埼玉県越生町の田島公子元町長)など、熱のこ
  もった意見が交わされました。

   会合後の記者会見で川井氏は「想像以上の手ごたえがあった。私も自民党宮城県連の青年部長だったが、9条を守る一点で政党
  政派の違いを超えた広い結集をはかることが課題だ」と強調しました。




      きょうの潮流

 
             2019・1・16  しんぶん・赤旗

   あれは高校生の頃だったか。歴史の先生から一冊の本を勧められました。それが法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるための
  寺ではないかと主張した梅原猛さんの『隠された十字架』でした▼説の正否よりも、常識や通説にとらわれない歴史の見方や文
  化を創造するおもしろさを感じてほしかったのでしょう。独自の視点で論じた「梅原日本学」は学界の枠をこえ、社会に大きな論
  争を巻き起こしました▼学問とは発見―。梅原さんが学生に講演したことがあります。「おかしいことをおかしいと思わなくては学
  問にはならない。子どものような心と、真理に対する誠実さと孤立する勇気、そして執念が独創的な仕事をつくる」(『少年の夢』)
  ▼戦中派の最後の世代と口にしていたように20代での死を覚悟し、特攻隊にも志願しました。人間を不幸にする戦争体験が物
  事の本質を問う哲学の道を歩むきっかけになり、戦後一貫した「平和憲法を守れ」の姿勢につながりました▼「九条の会」を呼び
  かけた一人として、人類が生き延びるための理想を守るために声をあげ続けました。日本ペンクラブの会長として理念なき教育
  基本法の改悪を「あまりにも知性と品格を欠いている」と真っ向から批判したことも▼つねに問題意識をもった発言には人類の未
  来にたいする希望が込められていました。「いまの時代は、きみたちに夢見ることを求めている」。梅原さんは自身の思いを若者
  たちに託します。「新しい文明をつくっていく大きな夢をもってほしい」

 


   
  平和憲法改正で反対活動の哲学者・梅原猛氏死去

            2019・1・15     朝鮮日報日本語版

   日本の平和憲法を擁護する活動を行っていた哲学者・梅原猛・元国際日本文化研究センター所長(93)=写真=が12日、死去した。
  哲学者でありながら日本古代史の分野で独創的な理論を発展させ、ノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎氏らと共に2004年、憲法
  9条改正阻止を目指した「九条の会」を立ち上げて活動した。
   1925年に宮城県仙台市で生まれ、京都大学文学部哲学科を卒業後、立命館大学教授、京都市立芸術大学学長などを歴任した。
  60年代からは日本文化の研究に力を注ぎ、72年には奈良・法隆寺に関する評論『隠された十字架』を出版して注目された。この著書で
  同氏は、法隆寺は日本で広く尊敬されている聖徳太子が創建した寺ではなく、聖徳太子の死後、鎮魂のために建てられたものだと主
  張した。イラク戦争や自衛隊の海外派遣にも反対の立場を表明した。

 


    世代超え9条考える

     日本ペンクラブがシンポ

 
             2018・12・5    しんぶん・赤旗

    世代や体験が異なる市民が憲法について考え、交流するシンポジウム「憲法と平和―どう考える9条」が3日、東京都文京区で開かれ
   約250人が参加しました。日本ペンクラブ平和委員会の主催。吉岡忍会長が開会あいさつし、理事の梓澤和幸弁護士がコーディネータ
   ーを務めました。

    東京大学現代社会研究会(TOSMOS)の鹿島健さんは、若者にとってコンビニで増えた外国人アルバイトなど身近な出来事が憲法を
   「自分ごと」として考えるきっかけになると発言。首都圏学生9条の会連絡会「ピースナイト9実行委員会」の男子学生は「遠いと思われが
   ちな憲法を学問や趣味と結びつけて考えるのが大事」と提起しました。

   元琉球大学教授で詩人・作家の大城貞俊さんは、沖縄の歴史や辺野古新基地建設の現状から「沖縄から9条改憲の意図がよく見える。
  新基地建設強行は米軍と一体化した軍事大国づくりではないか」と告発。作家の中島京子さんは「自衛隊を明記する形の改憲に反対だが、
  憲法が変わる以前に戦争への道を開いていることを危惧する」とのべました。

  作家の浅田次郎さんは「憲法のおかげで73年戦争をしなかったのは幸せ」として、海外で国民投票の現場を見た経験から改憲発議の国民
 投票に反対を表明。ジャーナリストの金平茂紀さんは、政府与党が来年の参院選で議席を減らす前に改憲を具体化する危険性を示し「流行語
 大賞のように『憲法改正、そだねー』と大量にCMが流されたら終わり」と警鐘を鳴らしました。

 


 

<幣原元首相>憲法9条、意義強調…原稿が宮城で見つかる

               2018・5・3   毎日新聞

   第二次世界大戦後、連合国軍総司令部(GHQ)と折衝を重ねて現行憲法の制定を進めた幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)
  元首相(1872~1951年)が書いたと伝わる原稿が、宮城県加美町で見つかった。「新日本は厳粛なる憲法の明文を以(もっ)
  て、戦争を放棄し、軍備を全廃した」などと記されており、幣原の平和憲法への思いを伝える貴重な史料となっている。

   所蔵していた本間俊太郎・元同県知事(78)によると、衆院議員だった父俊一さん(故人)が幣原の遺族から譲り受けたもの。
  自宅で俊一さんの遺品を整理していて見つけたといい、近く国会図書館憲政資料室に寄贈する。「年頭雑感」と題してあり、ラジオ
  放送用の原稿だったとみられる。

   原稿はA5判9ページ。署名はなく、作成時期も記されていないが、文中に「講和会議を目前に控え」とあり、サンフランシスコ講和
  会議(51年9月)があった51年のものとみられる。当時、幣原は衆院議長だった。

   文中には、「国民生活の水準はこれに依(よ)って向上せられ、人類一般の幸福をもこれに依って貢献し得られる」とあり、更に、
  外国からの攻撃への対処が「国民の一大関心事」とした上で、「我国を他国の侵略より救う最(も)効果的なる城壁は、何としても正
  義の力である」と訴えている。

  立教大の粟屋憲太郎名誉教授(現代史)は「幣原が9条への思いを伝えようとしたものとみていいだろう」と指摘する。【山田研】



       9条の心 石に刻む

     全国に18カ所 安倍内閣後に建立広がる

  
            2018・3・3   しんぶん・赤旗

    3日は憲法記念日。「戦争放棄」「戦力不保持」をうたった憲法9条の条文を、石に刻んで
   後世に伝えようとする人たち…。憲法9条の石碑が全国で少なくとも18あることが分かりま
   した。沖縄県七つ、石川県三つ、長野県二つ、茨城県二つ、岐阜県、静岡県、岡山県、広島
   県がそれぞれ一つ。石碑の半分は、改憲の動きが加速した第1次安倍晋三内閣発足(200
   6年9月)以降に建立。「今こそ9条守れ」の思いが深く刻まれています。



(写真)沖縄県大宜味村役場に建つ9条の碑

   「安倍政権の改憲の動きが慌ただしくなり、なんとしても辞めさせたいという思いで…」と語るの
  は、沖縄県の大宜味村(おおぎみそん)9条を守る会の平良啓子世話人代表です。県北部の大
  宜味村の役場敷地内に、県内で7番目の「日本国憲法 第九条の碑」がたったのは2017年12
  月です。
   芭蕉布(ばしょうふ)とシークワーサーの産地で知られる人口3000人の自治体の決意です。
  沖縄戦では南部から避難してきた県民や旧日本軍兵による飢餓、米軍の掃討作戦での巻き込
  まれによる死傷など悲惨な体験がありました。
   高さ約2メートルの碑には9条の1、2項全文が刻まれ、平和のシンボルのハトが9羽で「命(ぬ
  ち)どぅ宝」の文字をかこっています。碑の後ろには「憲法9条が永(なが)く守られ、平和な国際
  社会を構築する願いが込められている」と明記しています。
   石碑は昨年、宮城功光村長、平良さんを共同代表とする建立実行委員会がよびかけ、建設費
  は村民からの寄付など130万円で賄いました。
   平良さんは「大宜味も沖縄戦で多くの村民が死んでます。私も本土への疎開途中、アメリカの
  潜水艦に攻撃され沈没した対馬丸で奇跡的に生き残った一人です。今も海に沈んだ子どもたち
  の顔が忘れられません。役場の正面に建てた9条の碑は戦争放棄を固く誓った村民の強い思い
  です」と話しています。

   戦争しない願い込め

   9条の碑 沖縄県最多




(写真)沖縄県那覇市の9条の碑

   「9条の碑」は全国で少なくとも18カ所ありますが、沖縄の7カ所は県単位としては最多です。
  しかも那覇市の9条の条文を刻んだ「恒久平和」碑は戦後40年の節目の1985年の憲法記念日
  の5月3日に建立され、行政が関わった碑としては全国初のものです。
  碑の建立を発案したのは84年まで務めた平良良松市長。当時、那覇市役所の総務係長として
  同市長を支えた真栄里泰山さんはこう振り返ります。「沖縄の『祖国復帰』(72年5月15日)にあ
  たり平良市長は『本土で憲法がないがしろにされている』との危機感から、憲法の命をよみがえ
  させなければならない」

   惨禍くり返さない

   親泊康晴市長(当時)はこの思いを受け継ぎ、台座にこう刻みました。「忌まわしい太平洋戦争
  の終結から40年の節目にあたり本市は憲法の目指す恒久平和主義が名実ともに定着し二度
  と戦争の惨禍が起こることのないよう祈念し、『平和都市なは』建設のシンボルとしてこの碑を建
  立する」
   読谷村役場入り口に建つ「9条の碑」は95年10月に山内徳信村長(当時)の「平和行政」の
  一環で実現しました。
   読谷村は、米軍が初めて沖縄に上陸、激しい地上戦に加え、「アメリカ兵に捕まれば虐殺され
  る」として住民が「集団自決」で大量死したチビチリガマの悲惨な体験があります。戦後は米軍
  施政下で米軍による事件事故が絶えず、行政はこうした苦難の歴史と憲法9条の大切さを次代
  につなぐ「平和行政」に力を入れてきました。
   南風原町の「憲法九条の碑」は2007年の憲法記念日の5月3日に建立されました。碑建立
  期成会の「憲法九条を世界に広め平和を守る南風原町民の会」がよびかけ、町民の寄付で実
  現しました。
   碑が建てられているのは、沖縄戦で地上戦の激戦地となり、旧陸軍32軍の沖縄陸軍病院南
  風原壕群があり、「ひめゆり学徒」らが傷病日本兵の看病にあたり、数多くの犠牲を出した地域
  にあります。

  大切さ問う時代に


(写真)石川県旧鹿西町(現中能登町)の憲法第九条全文が刻まれた石碑(2004年当時)

  沖縄以外では、04年、石川県鹿島郡鹿西町(現中
 能登町)の元日本共産党町議、故杉本平治さんは、
 「日本国憲法第九条」と書かれた黒御影石(縦60セ
 ンチ、横1メートル)に、9条全文が彫られた石碑を
 、自分の家の跡地に建立。「二度と悲惨な戦争を起
 こしてはならない。憲法9条を守ることを訴えたい」と
 の思いからです。
  息子の満さん(57)は「結構、県外の人が見に来る
 んです。まさに9条の大切さが問われる時代になった。
 父が碑を建てたのも、大切さを地域社会に知らせて
 いくため。その思いを引き継ぎ守っていきたい」といい
 ます。

  茨城県下妻市の故安原菊夫さんは06年、「日中戦争で戦死した叔父の墓のそばに置けば9条の
 重みが伝わる」と、自分の家の墓のそばに個人で石碑を建てました。縦60センチ、横70センチの
 黒い泥板石に9条の全文が彫られています。

  安原さんは、初めて憲法9条を読んだとき「戦争をしない、武器を持たないと分かりやすく書いてあった。
 これでいい世の中になる」と小学校教員として子どもたちに憲法を教えました。安倍内閣の改憲の動きに
 は非常に憤りを感じていたといいます。(井上拓大、遠藤寿人、原千拓、山本眞直)

 


      シリーズ憲法の基礎

    9条2項の力 「海外出動せず」と自衛隊創設


                             2018・4・18  しんぶん・赤旗

   「本院は、自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈(しれつ)なる平和愛好精神に照らし、海外出動は
  これを行わないことを、茲(ここ)に更(あらた)めて確認する」

   1954年6月2日、防衛庁設置法と自衛隊法(防衛2法)が成立しました。そのとき、参院本会議で「自衛隊の海外出動を
  なさざることに関する決議」が採択されました。自衛隊は、「海外派兵はしません」と約束して誕生したのです。

   自衛隊法案を審議していた同年4月12日の衆院内閣委員会で木村篤太郎国務相(保安庁長官・当時)は、「(自衛隊を)
  海外派兵はしない法律的根拠は一体何か」と問われ、次のように答弁しています。

   「いわゆる日本の自衛権の範囲内、その範囲内において自衛隊というものは設立されておるのであります。自衛隊というの
  は、わが国の独立を守り、安全を期するためでありまして、海外派兵なんということは考えておりません」。木村氏はその後、
  初代防衛庁長官となりました。

   自衛隊創設は憲法9条2項の「戦力不保持」に反するのではないかと批判を受け、国会でも繰り返し論議されました。吉田茂
  首相は53年11月3日の衆院予算委員会で「戦力は持たしめないつもりでありますが、これを軍隊と言い、軍艦と言うことは、
  言うても差し支えない」と述べ、“戦力なき軍隊”という矛盾した答弁に追い込まれていました。

   9条を公然と変える「再軍備」はもちろん、9条のもとでの自衛隊創設という「なし崩し再軍備」路線の前に立ちはだかったのは、
  国民の侵略的軍隊復活への警戒感=「熾烈なる平和愛好精神」(決議)と9条2項の存在でした。51年の日米安保条約締結以
  来、国民の反対も強まっていました。その下で「海外派兵はしません」と約束せざるを得なかったのです。

  自衛隊法は自衛隊の任務を「直接侵略と間接侵略(内乱)に対しわが国を防衛する」こと(3条)と規定。「直接侵略」とは、日本
  の国土への武力攻撃への反撃に任務が限定される趣旨です。

  この規定が2015年に改定されました。集団的自衛権の行使を容認した安保法制=戦争法が「他国への攻撃」に対する反撃を
 認めたからです。(随時掲載)

 


     シリーズ 憲法の基礎

    日本再軍備 安保締結と同時進行


                2018・4・2  しんぶん・赤旗

   1951年9月8日、サンフランシスコ講和会議で対日平和条約が調印された5時間後、同じサンフランシスコの米陸軍第6軍
  司令部で日米安保条約(旧安保)がひそかに調印されました。国民は調印後、初めて安保条約の内容を知りました。

   旧安保条約の第1条は「アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその附近に配備する権利を、日本国は、許与」
  すると明記していました。「講和」によって占領軍は撤退するはずでした。その「占領軍」が一瞬にして「在日米軍」に変貌し、基地
  とともに居座り続けるという“マジック”が強行されました。しかも、講和条約第3条で、沖縄と小笠原を米国の全面占領下に置きま
  した。沖縄の軍事的利用価値を重視したのです。こうして日本全土を「反共の防波堤」として丸ごと占領・半占領状態に置いたの
  です。

   日米安保条約締結交渉の核心は「日本の再軍備」にありました。

   51年1月末から2月にかけて来日した米国の対日講和問題責任者ダレスと日本政府の交渉経過について、元防衛大学校校長
  の西原正氏ら編『日米同盟Q&A100』は次のように描いています。

   「(ダレスは)日本の独立回復後における米軍の駐留継続を示唆すると同時に、日本再軍備案として32万5000人を提示した」
  「日本側が再軍備計画を提示しない限り、交渉が進展しないことは明らかであった。そこで外務省事務当局は、警察予備隊と海上
  保安庁とは別個に五万人からなる保安隊を新設するとの漸増計画案を提出した。米国側がひとまずこれを了承した」

   これを受けて52年に保安隊が創設されました。53年には吉田茂首相の特使として米国に派遣された自由党の池田隼人政調会
  長がロバートソン米国務次官補と会談。米側が35万の地上兵力を要求するなどして激しい議論となり、54年に保安隊が自衛隊に
  発展しました。

   日本の再軍備を求める米側の意思は最初から強烈でした。ダレスは51年3月31日の演説で、「今後日本は太平洋の安全保障
  に対し、相当の貢献をしなければならない…安全保障に対し貢献をする能力を有する国は『無賃乗車』をしてはならない」と述べま
  した。安保締結前から安保“ただ乗り論”批判が始まっていました。(随時掲載)

 


 

  シリーズ 憲法の基礎

   9条改憲 最初から米国発

 
                        2018・3・16  しんぶん・赤旗

    日本国憲法が施行されたのは1947年5月3日でした。驚くべきことに、翌48年2月には、憲法9条改定の動きが
   始まっていました。震源地は米国の軍部でした。

    米国のフォレスタル国防長官が「日本と西ドイツの再軍備」研究の指示を、ロイヤル陸軍長官に対して発出。同48
   年5月18日付で「日本の限定的再軍備」という覚書が、ロイヤルからフォレスタルに返されました。

   そこでは、「軍事的観点からだけ見れば、日本の軍隊を創設することが望ましい」とする一方、それは日本の新憲法改
  定や、米国など占領軍の占領目的を定めたポツダム宣言の破棄を必要とするため「実際的でない」とし、「限定的再軍備」
  と提起したのです。

   どういうことか――。「中央の統制下にある既存の国家地方警察」の早急な拡大を追求し、これを「後日問題になる可能
  性がある日本の軍隊の組織化のための媒体」と位置づける。そして「連合国による占領の終結あるいは大幅な削減にあた
  って日本の限定的な再軍備を最終的に確立するための計画を、現時点で準備しなければならない。この軍隊は、米国によ
  って組織され、初期の訓練を受け、厳格に監督されなければならないし、国内の治安維持、

   そのうえで、「防衛のための日本の軍備を最終的に認めるという見地から日本の新憲法の改定を達成するという問題が探
  求されるべきである」としました。

   日本に軍隊を持たせるには、新憲法の改定などが必要で、すぐにはやれない。そこでまず「警察力」の形で軍隊に準ずる
  組織をつくり、それを育てつつ将来本格的軍隊を持たせ、改憲の準備をしていくという長期方針を示したのです。この方針は、
  若干の修正を経て49年2月に米軍の統合参謀本部、つまり軍最高指導部の決定となりました。

   1950年に朝鮮戦争が勃発すると占領軍司令官マッカーサーの命令で警察予備隊がつくられ、52年には保安隊に改組。
  54年には自衛隊となります。この流れが9条改憲の一貫した原動力となったのです。


        シリーズ憲法の基礎

     「希求」 大江健三郎さんの指摘

 
                       2018・3・7   しんぶん・赤旗

   憲法第9条1項は、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」として、「戦争」の放棄に加え、「武力に
  よる威嚇又は武力の行使」を永久に放棄すると定めています。
  そこにある「希求」という言葉。法的に特別の意味があるかと言えば、教科書では、戦争放棄の「動機」をあらわし
  たものと説明される程度です。
   「九条の会」の呼びかけ人の一人で作家の大江健三郎さんは2004年7月の同会発足記念講演会で、この「希
  求」に特に注目して語りました。
  大江さんは、「希求」という言葉には「自然な倫理観がにじみ出ている」とし、「これらがどういうときに書かれた文章
  であるか」に注意を促します。そして、新憲法を受け止めた日本人全体が、多数の戦争による死者たちへの思いと
  ともにある時期だったと述べました。
   「人間が身近に死者を受け止め、自分の死についても考えざるをえないときに、倫理的なものと正面から向かいあ
  う」。大江さんはこう指摘しました。
   日本が引き起こした戦争はアジアで2000万以上、国内でも300万以上の人々が犠牲となりました。戦死者の65
  %が補給を受けられない中で餓死し、広島・長崎では原爆で二十数万人が1945年中に亡くなりました。45年の日
  本人の平均寿命は男性で24歳に満たなかったというデータもあります。
   大江さんは、多くの人の死に押し出されるように憲法をつくった日本人が「希求」した新しい社会を、未来に向け生
  きていく日本人が「自らの『希求』としてとらえなおすことはできる」と述べました。
  そして、そのために記憶を風化させないことが大事だと強調。2歳で広島で被爆し、10歳で原爆症を発症した少女が
  回復を祈って紙で鶴を折り続けた逸話を紹介します。その少女の死後、日本と世界の多くの人々が鶴を折り、広島に
  贈り続けたことは、少女の苦しみ、恐怖、痛みと結びつこうとする戦後的倫理性のモデルであり、「今この国に生きてい
  る少女たちが、一人一人の手で作り直すことのできるモデルです」と述べました。

 いま改めて9条に厳粛に向き合うことが求められます。(随時掲載)



 


    シリーズ 憲法の基礎

    平和的生存権 暴政と貧困からの解放


                   2018・3・6    しんぶん・赤旗

   「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
  憲法前文にある「平和的生存権」の規定です。
   その原型は、1941年8月にアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が会談し、第2次大戦の戦後
  処理の原則を確認した「大西洋憲章」にあるとされます。その第6項で、「ナチ暴政の最終的破壊の後…すべての国のす
    べての人類が恐怖及び欠乏から解放されてその生命を全うすることを保障するような平和が確立されることを希望する」
   とされています。
    平和的生存権は、平和を「権利」として位置づけ、平和の保障をより実効的なものにしました。権利の主体は「全世界の国
  民」とされ9条の戦争放棄・戦力不保持に結びつきます。
 平和が永続するための条件として「恐怖と欠乏」からの解放をうたっています。
  「恐怖」とは、自由と民主主義を踏みにじる暴政であり、国家が戦争遂行のために国民の言論や運動を弾圧することを許さ
  ないということです。
   「欠乏」とは、文字通り「貧困」であり、半封建的地主制度や無権利状態での労働者搾取のもとでの貧困が、海外侵略の衝
   動をつくり、社会に戦争支持の空気を広げる温床になったことへの反省があります。憲法25条以下の社会権保障に具体化
  されます。
   平和的生存権は、学問的には「全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利」と位置付けられ、
  高く評価されてきました。
    平和的生存権は、裁判で争うことのできる法的権利といえるかをめぐっては議論があります。名古屋高裁は、自衛隊イラク
  派兵違憲訴訟の2008年4月の判決で「平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである」「裁判所に対し
  てその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合がある」とい
  う歴史的判断を示しました。

 


    シリーズ 憲法の基礎

    9条は自由の基礎 軍事価値を否定

 
                            2018・2・27   しんぶん・赤旗

   憲法9条2項が戦力不保持を定め、徹底して軍事を否定したのは、国民の自由のためにそれがどうしても必要
  だと痛感されたからです。
   安倍晋三首相は、1月の施政方針演説で「明治150年」と述べました。しかし、明治維新(1868年)以来の150
  年は、戦前と戦後で全く異なる70年からなります。
   戦前の明治、大正、昭和は、国を統治する全権限を天皇が握る絶対主義的天皇制のもと、日本が戦争に明け暮
  れた時代でした。
   その中で、日本軍国主義と天皇制政府は、軍機保護法、治安維持法、国防保安法、新聞紙条例などで徹底的に
  国民の言論、思想と運動を弾圧。主権在民と侵略戦争反対を掲げた勢力は残虐な拷問を受け、生命まで奪われま
  した。国家神道が強制され信教の自由は否定され、教育勅語などに基づく徹底した軍国主義教育で「お国のために
  血を流す」ことが無上の美徳とされました。
   国家総動員法は「国防目的達成ノ為国ノ全力ヲ最モ有効ニ発揮セシムル様人的及物的資源ヲ統制運用スル」もの
  とし、強制徴用をはじめ、戦争最優先に人もモノもすべて国家が取り上げたのです。
  日本国憲法が、9条で軍事を徹底的に否定したのは、歴史にてらし「戦争は自由の最大の敵」であるとしたからです。
   憲法学者の樋口陽一氏は『自由の基礎としての憲法第九条』という論考で、「基本的に一九四五年以前の日本社会
  は軍事的価値を最上位に置く社会でした。第九条の存在は、そういう社会の価値体系を逆転させたということに、大き
  な意味があったのです」と指摘。「天皇と軍とそのために死ぬことを力づけた国家神道、この三者の結びつきをいったん
  否定する。統治権の総攬(そうらん)者としての天皇から『象徴天皇』へ、国家神道から『政教分離』への転換と並んで、
  軍事価値の否定というところに、第九条が持ってきた大きな意味があった」として、「自由の保障」にとっての9条の意義
  を強調しています。

 


 

    シリーズ 憲法の基礎

    9条2項 広島・長崎の経験

 
                    2018・2・26    しんぶん・赤旗

   日本国憲法が公布された1946年11月、内閣の「法制局」が『新憲法の解説』を発行しました。その「第二章 戦争の
  放棄」について、次の一節があります。
   「原子爆彈の出現は、戦争の可能性を擴大(かくだい)するか、又は逆に戦争の原因を終熄(しゅうそく)せしめるかの
  重大段階に到達した」「識者は、まづ文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと眞劍(しん
  けん)に考えてゐる」
  まさに核時代に突入する中で、戦争と人類は共存できないという認識が9条成立の背景にあるのです。
   46年3月20日、枢密院で行われた幣原(しではら)喜重郎首相の帝国憲法改正案「説明要旨」は次のように述べてい
  ました。
  「原子爆弾ノ発明ハ世ノ主戦論者ニ反省ヲ促シタノデアルガ、今後ハ更(さら)ニ之ニ幾十倍幾百倍スル破壊的武器モ発
  明サレルカモシレナイ」「他日新タナル兵器ノ偉力ニ依リ短時間ニ交戦国ノ大小都市悉(ことごと)ク灰燼(かいじん)ニ帰
  シ数百万ノ住民ガ一朝塵殺セラルル惨状ヲ見ルニ至ラバ、列国ハ漸ク目醒メテ戦争ノ抛棄(ほうき)ヲ真剣ニ考エルコト
  トナルデアラウ」
   幣原は、核戦争で数百万の人間が一瞬にして殺されるときが来ると警告したのです。そのうえで、諸国がいつかは憲法
  9条が示す大道についてくる、としました。こうした発言は、日本国憲法制定(明治憲法改正)議会の審議でたびたび出て
  きます。
   45年4月~6月にかけて議論され決定された国連憲章は「武力による威嚇、武力の行使」を原則禁止したのに対し、
  日本国憲法は「戦力不保持」にまで飛躍を遂げています。そこには残酷な侵略戦争への徹底した反省とともに、45年8月
  のヒロシマ・ナガサキへの人類初の原爆投下という経験が刻まれていました。
  核兵器禁止条約が国連で締結されるに至ったいま、改めて9条2項の人類史的重みが浮かびあがります。


    シリーズ 憲法の基礎

    侵略に反省 平和への貢献決意


                        2018・2・24   しんぶん・赤旗

   憲法9条2項が徹底した軍事の否定に踏み出した背景には、アジアに対する侵略戦争への厳しい反省があります。
  憲法制定を審議していた帝国議会で三笠宮崇仁枢密院顧問官は、「満州事変以来、日本の表裏、言行不一致の侵
  略的行動については全世界の人心を極度に不安ならしめ、かつ全世界の信頼を極度に失っていることは大東亜戦争
  で日本が全く孤立したことで明瞭」と指摘。「将来国際関係の仲間入りをするためには、日本は真に平和を愛し、絶対
  に侵略を行はないと言う表裏一致した誠真のこもった言動をもって世界の信頼を恢復(かいふく)せねばならない」とし
  て、それは憲法の条文だけでは不十分であるが「とにかく憲法に明記することは確にその第一歩である」と述べました
  (1946年6月8日、枢密院本会議)。
   また当時の吉田茂首相は、「満州事変」も「大東亜戦争」も「自衛権」の名目でおこなわれたとしたうえで、「今日わが
   国に対する疑惑は、日本は好戦国である、何時再軍備をなして復讐(ふくしゅう)戦をして世界の平和を脅かさないと
   もわからないというのが日本に対する大なる疑惑であり、誤解であります」と述べ、この「誤解」を解くことが第一だと
   強調しています。
    さらに吉田首相は「この疑惑は誤解だと申しながら、全然根底のない疑惑とも言われない節が、既往の歴史を考え
   て見ますると多々あるのであります」とし、まず「交戦権」をすすんで放棄することで「世界の平和確立に貢献する決意
   を、まずこの憲法において表明したい」(46年6月26日、衆院本会議)と述べたのです(表記は現代仮名使い)。
    これらの点で、憲法9条2項は、日本の徹底した非軍事化によって東アジアの平和を確保するためにつくられた規定
   なのです。

 


  「九条の会」アピール

   日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
  ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争
  から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を
  導きだしました。
   侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した
  九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。
  しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない
  規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。
  そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。
  また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争を
  する国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、
  武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。
  私たちは、この転換を許すことはできません。
   アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかに
  しています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以
  降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアや
  ヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
   二〇世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの
  大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしか
  ありません。
   憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先
  する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九
  条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力がで
  きるのです。
   私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えま
  す。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、
  日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来
  のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力
  を、いますぐ始めることを訴えます。

       2004年6月10日

     井上 ひさし(作家)   梅原 猛(哲学者)   大江 健三郎(作家)

     奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家)    加藤 周一(評論家
)
     澤地 久枝(作家)    鶴見 俊輔(哲学者)  三木 睦子(国連婦人会)

 


   
    12人の「世話人会」を設置

  九条の会の新たな前進めざし 第6回全国交流討論集会

 

 2016925日、東京千代田区の明治大学で開いた「九条の会第6回全国交流討論集会」には、全国400余の地域・
 分野の会から約500人が参加しました。

  交流討論集会では、午前の全体会で小森陽一事務局長が事務局からの問題提起を行ないましたが、その中で九条
 の会の体制強化のため、12人からなる世話人会を設置したことを紹介しました。

                     「九条の会」ニュース第251号(2016101)より

 世話人会の構成メンバー

  愛敬 浩二 名古屋大教授、憲法学     浅倉むつ子 早稲田大教授、労働法

  池内  了 名古屋大名誉教授、宇宙物理学 池田香代子 ドイツ文学翻訳家

  伊藤 千尋 元朝日新聞記者        伊藤  真 日弁連憲法問題委員会副委員長

  内橋 克人 経済評論家          清水 雅彦 日本体育大教授、憲法学

  高遠菜穂子 ボランティア活動家      高良 鉄美 琉球大教授、憲法学

  田中 優子 法政大総長、江戸文化研究家  山内 敏弘 一橋大名誉教授、憲法学